宇川検事の抗告申立書を批判する

岩井信

三度連続の保釈決定に、三度連続の取消

 7月30日、東京高裁第四刑事部が、東京地裁による安田さんの保釈許可決定を取消した。宇川春彦検事による地裁決定に対する不服申し立て(抗告)を認めてしまったのである。これで、三度にわたって連続して、東京高裁が地裁決定を取り消したことになる。実際に安田さんの審理を担当する地裁が公判の進行を見ながら保釈を認めたものを、直接に公判を担当していない(あの証人の証言の変遷を肌で感じていない!)高裁がわざわざ書面だけで取り消してしまったのである。もちろん、弁護団が短時間に詳細かつ緻密な意見書を提出していることはいうまでもないが。
 前二回の保釈決定取消は、二回とも東京高裁第一刑事部によるものであったため、担当は公正を期するため受付順にしているはずであり疑問があると弁護団も申入れしていた。その結果かどうかはわからないが、第一部ではなく別の第四部となった。しかし、ここは、最近では狭山事件の再審請求を棄却したところで、結局東京高裁はどこも同じということになるのかもしれない。
 この蒸し暑い夏を風通しもよくない東京拘置所で過ごすのは、拷問に近い。今度こそはと思っていただけに、やるせない。

 では、いったい宇川検事はどのような論理で抗告をしたのか。東京高裁の判断には独自の詳しい理由はないので、ここでは、宇川検事の論理にしぼって検討する。(ニュース4号には、田鎖弁護士の懇切丁寧な解説があるので、そちらと共に読んでいただければ幸いである。)

なぜ東京地裁は頑固に保釈決定を出しているのか

 これまで弁護団は8回保釈請求をしている。つまり、第6回目、第7回目、第8回目の請求に対して東京地裁が保釈決定を出したことになる。東京高裁に決定を取り消されながらも保釈決定を出し続けていることも注目すべきだが、それと同時に、東京地裁が最初から保釈請求を認めてきたわけではないということも重要である。実は東京地裁も、最初は今回の東京高裁と同じように、抽象的に罪証隠滅のおそれを理由に保釈請求を却下してきたからだ。
 では、なぜ、東京地裁は、第6回目の保釈請求以後保釈決定を頑固に出し続けているのか。理由は簡単である。スンズ社の経理担当者に対する弁護側反対尋問がはじまったからである。
 すでに支援の会ニュースでも報告している通り、経理担当者に対する反対尋問により、検察側の描いてきた構図が根本的に崩れてきている。むしろ、警察、検察が証拠を隠滅したとでも言うべき信じられない事態が公判で明らかにされている。最初に任意出頭した経理担当者が、退職金横領に該当する事実を警察に述べたときに警察は何と言ったか。「時と場合によっては犯罪になる。」そして、彼女について捜査を開始することはなかったのである。そして、その後の証人の証言の変遷。このような事態を公判で目の前に見たからこそ、東京地裁は当初の立場を変え、保釈請求を認め、また高裁に何度蹴られようが頑固に保釈決定を出し続けているのだろう。(上級審の意向をうかがう傾向の強い日本の裁判所の中で、三度連続して保釈決定を出した木村烈裁判長以下東京地方裁判所第16部は、支援する会からすれば当然とは言え、「勇気」がある。裁判官の「独立」が、裁判所内での孤立、四面楚歌にならないことを祈るばかりである。)

宇川検事の抗告申立は何を主張しているか

 これに対して、宇川検事は一貫して抗告を申し立てている。その理由は、被告人が「何としてでも刑事責任を免れようとの姿勢をより鮮明にしている」ことを考えると、「少なくとも経営会議に参加していた共犯者らの証人尋問が終了しない限り・・・罪証隠滅のおそれは払拭されない」というのである。
 この論理によれば、共犯者がいて否認しているかぎり、公判の進行による事情を考慮せずに、共犯者の証人尋問が終了しなければ一切保釈は認められないことになる。つまり身体の拘束=勾留が原則になってしまう。しかし、被告人には推定無罪が及ぶ。だから、あくまで「裁判に付される者を抑留することが原則であってはならず」(自由権規約9条3項)、宇川検事の論理は刑事訴訟法が権利保釈を定めている趣旨に反している。原則と例外が逆転しており、公判の具体的経過を考慮に入れた地裁の判断を尊重しないからである。しかし、これ以外にも、多くの問題が彼の抗告申し立てにはある。

物議をかもした弁護士=潜在的罪証隠滅者論

 「本件においては、1240名を超える弁護人が選任されており、その全員の行動を被告人及び主任弁護人において全面的に統率するのが困難であることは明らか」

 これが、前回の保釈決定に対する宇川検事の抗告で物議を醸した部分である。弁護士が潜在的に罪証隠滅をすることを前提としており、弁護士の反発を受けたことは言うまでもない。安田弁護団は、東京地検に抗議の申入れをし、さすがに今回の抗告申立書からは削除されている。しかし、この宇川検事の論理は、後に見るように今回の抗告理由の中にも潜んでいるので、ここで若干検討したい。
 これは、単に弁護士に対する侮辱に止まらず、現在の法制度そのものをひっくりかえすものである。刑事訴訟法は、被疑者が弁護人と立ち会いなしに会って相談する権利を認めているが、まさに弁護士に対する信頼を前提に法制度を構築していることを示している。宇川検事の論理を採用すれば、現在の刑事司法制度は根本から成立しなくなってしまう。
 それだけではない。「被告人及び主任弁護人において全面的に統率するのが困難」というのもおかしい。これは、罪証隠滅するのは被告人でないことを前提にしている。ということは、この論理を発展させれば、安田さんは日本社会、ひいては世界中の全ての人々が罪証隠滅しないよう「統率」しなければならないことになりかねない。しかし、刑事訴訟法はあくまで「被告人が罪証を隠滅すると疑うに足る理由がある場合に」勾留を認めている。被告人が弁護士に指示して罪証を隠滅すると宇川検事が書くのであればまだしも(これ自体失当な主張であるが)、宇川検事は、あくまで被告人において統率困難と書いている。であれば、それは他人の仕業であって、被告人にはまったく責任がないということだろう。他人の行為を理由に被告人の身体を拘束するのが許されないのは言うまでもない。

インターネットによる証人威迫?

 冗談半分で被告人が世界中の人々を「統率」しなければいけないことになると書いた。しかし、残念ながら冗談ではなく、実際にこの宇川検事の論理は今回も維持されている。

 「インターネット上の記事掲載についても、右の保釈条件に抵触することなく、関係者に対して、被告人に不利益な供述をしないよう心理的圧迫を加えたり、供述内容に影響を与えることは可能であるから、右の条件が付されているとしても、被告人らが罪証隠滅に及ぶおそれは到底防止しがたい」

 確かに、ニュース前号に寄稿している小柳さんが、個人的にインターネットを通じて今回の安田さん逮捕に関する情報を精力的に伝えているし、他にも様々な人が発信しているようである。
 ここで強調したいのは、そもそも、小柳さんが安田さんではないことだ(小柳さん、別に他意はありません)。安田さんにしてみれば、赤の他人なのである。ここに、宇川検事の潜在的罪証隠滅者論が残っている。
 要するに、宇川検事は罪証隠滅のおそれを罪証の隠滅の観点からしか見ていない。だから、隠滅する人が誰かは関係ないのである。この世に存在する全ての人がその主体となる。しかし、罪証隠滅のおそれはあくまで「被告人の」身体を拘束するための理由なのであって、法律上はあくまで「被告人が」罪証隠滅するかどうかだけが問題とされている。被告人以外の罪証隠滅行為については、証拠隠滅罪や証人威迫罪で対応すべきことであり、宇川検事はこの両者を完全に混同している。
 なお、インターネットに関する宇川検事の主張には他にも様々な問題がある。インターネットのホームページはアクセスしなければ読めないのだから、証人が自ら積極的に心理的圧迫を受けようとしてインターネットを見ることまで防止する必要があるのか。また、オウム関連の証人尋問の様子があれほど大々的に新聞で詳細に報道されているのに、なぜ今回、インターネット上の記事掲載だけを問題にしているのか。公開法廷についての表現の自由、報道の自由を委縮させるものでもある。(しかし、なぜインターネットだけなのだろうか。宇川検事の論理ならば、「支援の会ニュース上の記事掲載についても」と書いてもよさそうなのに・・・。)

そして、ついに禁じ手に

 今回の抗告において、一番見逃すことはできないのは、宇川検事が経理担当者の証言のおかしさ、乱れを積極的に「弁護」したことである。
 宇川検事は、弁護人が「事実をゆがめた主張」をしているとして、経理担当者の証言について根拠があることを積極的に「弁護」している。例えば、経理担当者らが受領した額について、就業規則によれば「根拠があることは明らか」であると主張する。これは、まさに証人の主張そのものである(過去のニュース公判報告参照)。しかしこれにより、宇川検事は、退職金額の決定権・支払権が雇用者である取締役会や代表取締役にあるのに、それらに黙って隠し金を受領することが正当だと主張してしまったことになる。そもそも、仮に検察官の主張のように就業規則にそって支払ったとしても、証言通りの額とは一致しない。宇川検事は、自ら電卓で計算することなく「根拠があることは明らか」と主張するが、弁護団は実際に計算式にあてはめた計算の過程まで書面に書いて徹底的に反論している。宇川検事には自ら証拠を調べ、自ら計算し、自ら検討しなかったのだろうか。法律家という職業人のプライドがないのだろうか。
 この宇川検事の「弁護」は、検察の筋書きが根本的に崩れているという弁護団の主張に対抗するため筆を滑らせたのかもしれない。
 しかし、宇川検事が受領「額」について根拠があることは明かと弁護するのであれば、それは結果的に、経理担当者らが何も知らない社長からもう一度退職金を黙って「受領」したことも根拠があるということを主張することにつながる。(実際に二度もらったことは公判廷で証言している。)捜査をした上でそれが犯罪には該当しないと主張するならまだわかる。しかし、ここで問題なのは、捜査もせずに、犯罪該当事実の疑いがある行為を積極的に「弁護」しているということである。これは罪証隠滅ではないか。証人威迫によって、自らの欲しい証言を得ようとしたのではないか。
 もはや捜査を担当した警察や、捜査検事の責任に転嫁することはできなくなった。宇川検事はついに禁じ手を指してしまったのである。

以上