宇川「以前あなたは弁護人の質問に対して、このお金は目黒ホテルの五階に約一年間保管していたと説明したのを覚えていますか」宇川検事が自らの証人に騙されていたことが明らかになった瞬間である。このO証人(経理担当者)は、弁護側の反対尋問によって、社長には内緒でお金を横領していたことが明らかにされ、本人も認めた。しかし同時に、それは本来もらうべき正当な退職金相当額だということと、お金は会社の経営するホテルのロッカーの中に保管していたと主張するのを忘れなかった。もらい方はよくなかったが、会社のお金という性格は変えなかったし、そもそも会社が払うべきお金なのだから、犯罪にはならないというのだろう。もちろんこれ自体通用しない主張だが、驚くことに宇川検事がこの主張を積極的に「弁護」したことは、すでに批判した(拙稿「宇川検事の抗告申立書を批判する」支援の会ニュース7号)。
証人「はい」
宇川「訂正すべきところがあるんじゃありませんか」
証人「はい」
宇川「最初は、寺田倉庫というところに入れておきました。」
2:予想に反した主尋問
9月の公判を傍聴するにあたって、あらためて冒頭陳述(検察が証人尋問や証拠調べで立証しようとする事柄)を読み直してみた。いったい、何を中心に宇川検事は主尋問をするだろうか。
いうまでもなく、安田さんは弁護士としての法的アドバイスが「犯罪」にあたるとして問われている。安田さん自身が「犯罪」の実行行為をしていないのは明らかだから、安田さんに正犯としての刑事責任を負わせるには、「犯罪をやろう」と決めた謀議に参加し、かつその謀議で主導的な役割を果たしていたことを立証しなければならない(共謀による共同正犯)。とすると、宇川検事の主尋問の最大のテーマは、謀議はあったのかなかったのか、いつ成立したか、安田さんがどのように「指示」したか、さらに他の共犯者が安田さんの「指示」をどう思い、どう決意し、どのように「指示」を実行したか、になるはずである。つまり、謀議の成立をねちっこく具体的に聞きだして、主犯格は安田であると立証するだろうと思っていた。
ところが驚いたことに、宇川検事は謀議の成立の詳細を聞きだそうとしない。それだけではない。それ以外の冒頭陳述の柱となっている事項についてもほとんど追及せず、むしろ冒頭陳述に記載の全くない海外資産譲渡問題について時間をとって尋問をした。いったい、何が起きているのか。宇川検事は、本当にこれで安田さんを有罪にできると思っているのか。
3:謀議の成立を追及しない主尋問
まず、宇川検事の主尋問の奇妙な特徴(有罪の立証から言えば致命的な欠点!)は、謀議の成立について徹底的に追及しない点である。傍聴しているかぎりでは、この点がきわめて曖昧なのだ。冒頭陳述によれば、謀議は2月19日の安田さんの事務所での打ち合わせ席上で成立したことになっている。しかし、主尋問においては、2月12日と19日の安田弁護士との打ち合わせが混然一体となっており、宇川検事が時系列にしたがって整然と聞かないため、12日と19日のどちらを尋問しているのか明確でないことが多々あった。むしろ「12日と19日あわせて一本」ということを立証しているに過ぎず、23日に社長が海外出張するから、逆算して19日に謀議が成立したと言っているにすぎないように思える。
4:具体的状況を引き出せない主尋問
謀議の成立日時だけではない。「謀議」における安田さんの指示の内容を具体的に引き出そうとしないということも、不思議だ。具体的な安田さんの指示の言葉も明らかでないし、会合の具体的な雰囲気、イメージもわかない。スン社に関係する弁護士や公認会計士、税理士が多数いる中で、安田さんの主導性、指導性、影響力や、証人が言うところの「経営会議」の「経営会議」たるゆえんについても、具体的な描写を引き出していない。
証人が「生の記憶がない」というので仕方がなかったというのかもしれないが、そもそも「犯罪」の謀議の生の記憶がないということはどういうことか。普通の検察官なら「そんなことはありえない」と攻めるだろう。しかし、宇川検事は深追いしなかった。尋問技術の問題もあるかもしれないが、むしろ、聞きだすのを遠慮しているのではないか。
5:先延ばしにする主尋問
さらに特徴的なのが、検察官が重要事項について先延ばしにした点である。
今回の場合、検察側の主張によれば、賃料振込先の変更通知を出してテナントに賃料を振り込ませたことが犯罪の実行行為になる。そこで、証人に「それをよく知っているのは誰ですか」と尋ね、証人とは別な名前をあげさせている。詳細は今後の別の証人尋問でしか明らかにできないということだろう。明らかに、保釈請求に対してまだまだ重要な尋問が残っているということを主張するためのものだ(当時はまだ保釈されていなかった)。
しかし、これは検察側としては墓穴をほる行為でもある。詳細を先延ばしにすることは、謀議の成立と実行行為への経過を支える証拠構造を極めて弱いものにさせてしまうからである。一つの証拠、一つの証言でしか支えられていない時に、もしその証拠が崩れた時はどうするのだろうか。相手のことまで心配する必要はないが、後になって、宇川検事は慌てないだろうか。
6:冒頭陳述に固執しない主尋問、冒頭陳述から離れた主尋問
つまり、まとめれば、安田さんを有罪にするについて最も重要な謀議の成立について、主尋問で具体的な証言を引き出せないだけでなく、追及もせず、むしろ先延ばしにしているのである。謀議だけではない。私が予想したその他の冒頭陳述の柱にも固執しない。正直なところ、拍子抜けしてしまった。
しかし、今回の主尋問の奇妙さは、冒頭陳述に固執しないことだけに限られない。むしろ、冒頭陳述に書かれていない海外資産譲渡問題に尋問の多くの時間を割いたことに注目すべきである。冒頭陳述とは、被告人の防御のために証拠調べによって立証する事項を前もって明らかにすることだから、冒頭陳述以外の事実を立証しようとするのは、まさに不意打ちでありルール破りである。宇川検事は、冒頭陳述の訂正もせずに、厚顔無恥にも主尋問を続けたのである。
この点を取りあえずおくとすると、奇妙な事実が垣間見えてくる。宇川検事は、なぜ、冒頭陳述に固執しなかったのか。なぜ、冒頭陳述を離れて主尋問したか。それは、同僚の浦田検事によって作られたストーリーを宇川検事が信じられなくなったということではないか。
この点はよくわかる。たぶん宇川検事自身も、経理担当者証人に対する弁護団の反対尋問や、公判準備のための証人との事前テストで、つくづく実感したのだろう。そこで、自ら事件の立証を構成し直すしかなくなった。
しかし、浦田検事は浦田検事なりの全体構想の中で「でっちあげ」をし、調書を作成し、起訴した。それにはそれなりの構造がある。それを崩すとどうなるか。宇川検事が冒頭陳述を離れて海外にまで話を広げたことによって、かえってスンーズ社の周りにいる多数の登場人物の中で、どうして安田さんだけが悪者なのか(そもそも安田さんは語学が得意ではない)、それを検察は立証しなければならなくなってしまった。
宇川検事は自分で事件を再構成するのではなく、やはり浦田検事に再登場を願うべきだったのである。
7:証人の証言はなぜ変わるのか
今回の主尋問でもう一つ特徴的だったのは、何度となく、宇川検事が「打ち合わせの時と違うことを言っていませんか」と証人に迫ったことである。この「打ち合わせ」とは、謀議の成立が問題になった6年前の「打ち合わせ」のことではなく、公判2〜3日前の検事との打ち合わせのことだった。(ちなみに、あまりに紛らわしいので、裁判長も「検事との打ち合わせは事前テストと言ってください」と何回か注意したぐらいだ。)
「私との事前テストの内容と違いますよ」という言葉が、検事の主尋問で臆面となくでてくるのはめずらしい。少し間違えば、これは証人威迫そのものである。検事との事前テスト(打ち合わせ)が明らかになれば、証人が検事の言いなりに証言していると思われかねないから、普通は言わないのではないか。また、そもそも弁護人がその打ち合わせ内容を知るわけがないのだから、検事に反論しようがない。これまた、ルール違反である。
どちらにせよ、証人の証言は、警察官による調書、浦田検事による調書、宇川検事との事前テスト、そして公判証言と4度屈折していることになっているだろう。なぜだろうか。それは、証人が自己の記憶をそのまま語れない事情があり、もしくは、メモ魔の人によくあるようにメモをすると本当に記憶が残っていないときに、一方で証人作成の各種メモが「客観証拠」としてあるため、それと整合的に証言を作り出さなければいけないからである。証人は、自分が書いたメモをながめて、メモから合理的に推測できる事実を毎回作り出しているから、その度ごとに証言は微妙に異なってくる。自らの記憶に基づいて語っていれば、そのようなずれは生じようがない。
そのため、不思議な光景が見られる。裁判長が「これはどう読むんですか」と尋ね、メモを書いた当の証人が「こう読むんですかねえ」と答え、弁護人が「こうではないですか」と言って、証人が「ああ、そうですねえ」という光景である。尋問の場は、裁判所、弁護人、検事、そして当の証人みんなが、寄ってたかってメモを「解読」する場になっている。そして、これが字の読み方だけにはとどまらない。検察が主張するメモという「客観証拠」は、それだけでは意味がわからないから、証人に読み上げさせ、そこから推測させることで実は「一つの解釈」になっているのである(なお、ここでは「客観証拠」と書いたが、厳密には客観証拠でも何でもない。「業務日誌」と呼ばれているものだって、正確には「ダイアリー」である。他の同僚が業務のため閲覧できるような業務日誌ではもちろんなく、ゴルフなど個人的スケジュールも書いてある個人的覚え書きにすぎない。そのため、後からの書き込み、書き直しなど改ざんがなかったか検証する必要がある。)
8:「客観証拠」は最後に裏切る
日本の刑事裁判は捜査段階の調書の追認儀式に化していると批判されてきた。すべては、裁判がはじまる前に調書によって固められ、公判廷で新たな事実が明らかにされることもほとんどなく、丁々発止、尋問でやりあうこともない。しかし、この安田さんの裁判では、宇川検事が浦田検事作成の調書を放棄し、当初の冒頭陳述を捨てて、自ら新たに立証を試みだしたことで、期せずして、公判中心主義が実現することになった。取調室ではなくて、公判廷が事実解明のための「主戦場」となるのだ。もちろん何が飛び出してくるかわからないから、宇川検事は公判中心主義が怖いのだろう。だから、調書を追認させる調書裁判の代わりに、「客観証拠」であるメモを証人に朗読させる朗読裁判を展開している。
しかし、証人によるメモの朗読は、繰り返しになるが、単なる朗読ではなく、「こう書いてあるから、こういうことがあったのだろう」という一つの推測・解釈にすぎない。そして実際に、メモの記述と、メモの記述から証人が「こういうことがあった」と推測することとの間には、微妙なズレがある。「神は細部に宿りたもう」という言葉があるが、まさに、その微妙な細部のズレの中に真実が見えてくる。
ところが、宇川検事には、どうもそれが見えてこないようである。彼は、メモを「客観証拠」と思いこんでいるから、メモを読ませることが「客観証拠という名の一つの解釈」となり、それが最後に彼を裏切る可能性のあることに気づいていない。ここに、宇川検事による主尋問の最大の脆さがある。(もしかすると、気づいて恐れているからこそ、本来追及すべきところで追及しないのかもしれない。)
自らの立証を支える最大の証拠と思っていたものが、最後にはブーメランのように宇川検事自らにはねかえっていくだろう。
以上