人権嫌いの政治的弾圧

安田弁護士はなぜ逮捕されたのか

一二月六日、警視庁捜査二課は旧住専処理がらみの
強制執行妨害被疑事件で安田好弘弁護士(五一歳)を
逮捕した。
そしてメディアは、悪徳弁護士キャンペーンをはり、
「一線を越えた」と書きたてた。
逃亡の恐れもないオウム主任弁護人・死刑廃止論者を
不当逮捕し、一線を越えたのは権力側ではないのか。

原 裕司



 オウム真理教・松本智津夫被告事件の主任弁護人であり、死刑廃止運動の旗手であり、そして数多くの人権侵害事件裁判を担当していた安田好弘弁護士が、警視庁捜査二課に逮捕された。
 突然の逮捕に驚くとともに、調べれば調べるほど、この逮捕がいかに政治的なものであることかがわかってくる。これは権力の乱用であり、権力の暴走だ。民主主義が危機に瀕している。

捜査二課のリーク
裏を取らないマスコミ


 もともとおかしな逮捕劇だった。一二月六日の日曜日。私は知り合いから、「安田さんが逮捕された」という知らせをもらった。
 逮捕容疑も、すぐには理解できない微罪に近いものだった。不動産会社の強制執行妨害容疑の共犯だという。弁護士が民間会社の弁護活動をやる時は、利益を守るために指示するのは当たり前だし、これを「報酬をもらって一線を越えた」とする行為が違法なら、日本から企業事件の弁護士はいなくなってしまう。
 もともと予兆はあった。安田弁護士は二度にわたって警視庁の事情聴取を受け、東京地検からも事情を聴かれていた。つまり、当局にとって逃亡の恐れはまったくなかったのに逮捕してしまったのだ。
 こんな状況証拠もある。安田弁護士が逮捕されることを、事前にマスコミの多くが知っていた。
 捜査二課というのは、汚職事件など知能犯の捜査を担当する部署だ。殺人事件を担当する捜査一課などとは違い、捜査は水面下で極秘に動く。マスコミに気づかれるのを極端に嫌う。そうでないと、被疑者に証拠湮滅(いんめつ)される恐れがあるし、公判維持できなくなると地検側にしかられる。私の経験でも言えるのだが、捜査二課の関係者はそれだけ口が堅い。
 ところが、今回の逮捕はテレビをはじめ多くのマスコミが知っていた。これはどういうことか。
 リークなのだ。事前にマスコミに逮捕情報を流すことで、安田弁護士逮捕を派手に報道してもらいたい。こんな当局の本音が、状況証拠から読み取れる。あのロス疑惑の逮捕劇を彷佛(ほうふつ)させる。
 世間がマスコミ報道から受けた印象は、「人権派弁護士が実は金に汚くて、こんなあくどいことをしている」というものだっただろう。
 安田弁護士の名誉のために一つだけ指摘しておくが、マスコミが流す「現金受け取り」だって、事実を知れば、お笑いものの報道だ。にもかかわらず、通常の数十倍の数百万の特別報酬を受け取っていたとか、十分な裏を取らないで警察情報を垂れ流す警視庁担当記者の感性と良識を疑ってしまう。

人権派の敵
権力の暴走がはじまった


 では、なぜ、リークによる逮捕劇が必要だったのだろう。
 それは、安田弁護士を逮捕することで、弁護士という彼の信用と立場を失墜させることで、企業弁護活動に対する脅しと、あわせて遅々として進まないオウム裁判の弁護活動を潰し、そして死刑廃止運動の盛り上がり潰しを考えてのことだろう。そうでなくては、この逮捕劇は理解できない。
 もともと人権と権力は対峙する。人権というのは、権力から勝ち取ってきたものだ。
 安田弁護士は、関係者にとっては、弁護士の中の弁護士である。多くの冤罪事件にかかわり、死刑廃止運動では先頭に立って行動していた。事務所も無償で提供していた。金に無頓着だったことも、周囲は知っている。世話になった人間は多い。
 権力にとってこんな人権派は、目の上のたんこぶだった。警察当局にとって、人権ほど嫌いなものはない。権力からみれば、人権派とは敵なのだ。安田弁護士は当局にとって対峙する存在だったのである。
 オウム裁判の主任弁護士についても、だれもやりたくなかった裁判なのだ。だが、安田弁護士は引き受けた。以来、ほぼ毎日のように事務所に寝泊まりして、裁判に備えていた。忙しすぎて帰宅できない日々が続いていた。
 裁判とは、検察と弁護人の法廷での闘いだ。検察は起訴事実を立証しようとして全力を注ぎ、弁護人は、被告の利益を守るために、全力を注ぐ。それが民主主義を守る大前提なのだ。
 乱暴に言うと、真実とか言う前に、被告をやっつける側と、被告を守る側が、お互いに都合のいい証拠を持ち出して闘うのが法廷なのだ。つまり証拠が採用されて判決が出ても、その判決が真実だとは言いがたい。つまり、危うい力関係で、刑事裁判は成り立っている。それが民主主義というものだ。
 問題は、オウム裁判の弁護人になった時点で、敵は検察だけではなくなったということだろう。そう、オウム憎しという国民世論も敵となってしまうのだ。だから多くの弁護士は引き受けようとしなかった。それを承知のうえで、安田弁護士は金にならないことを引き受け、見えない敵とも闘っていく決意をしたのだ。
 オウム裁判は遅々として進まない。一〇〇回を超えたのに、と検察関係者は嘆く。弁護士が遅らせようという戦術をとっているからだ、と一部マスコミは書いた。  本当にそうだろうか。法廷は週に三回も四回も開かれている。へとへとになって弁護活動をしているのに、と思う。
 民主主義とは時間がかかる手続きなのだ。それを引き受けた以上、弁護士が被告の利益を守るのは、当然の活動である。それだからこそ、微妙なバランスで民主主義が成り立っているのだ。
 警察・検察は、そんな法廷の相手を逮捕することが、いかに民主主義の根幹にかかわることなのか理解できているのだろうか。微罪による逮捕。証拠湮滅・逃亡の恐れのない人物の逮捕。そしてその逮捕劇を過剰に演出したマスコミ報道。遅々と進まないオウム裁判の主任弁護人を逮捕した意味の大きさを理解できるだろうか。警視庁は東京地検に協力したのだろう。
 警視庁の狙いは、透けて見えてきた。権力というのは、こうしたことを時々披露してみせて、国民を萎縮させる。権力に逆らうとこうなりますよ、という見せしめだ。

良識あるジャーナリストの不在

 安田弁護士逮捕をきっかけに、われわれは非常に危険な空気の中にいることに気づかなくてはならない。権力が暴走を始めたのだ。
 それにしても、と思う。裏を取る作業をしないで、警察情報を垂れ流す今回のマスコミ報道に、私は危機感を持つ。
 安田弁護士の事務所には、各マスコミの司法担当記者が夜な夜な日参していた。オウム裁判の取材だ。それに対して安田弁護士は答えられるものにはきちんと応じていた。それが警視庁担当記者となると、電話を一回事務所に入れただけで、一方的に警視庁だけの言い分を書いてしまう。
 何かおかしくないだろうか。何かが狂い始めていないだろうか。
 昔、正木ひろしという弁護士がいた。戦前戦後を通じて、人権擁護活動に取り組み、多くの冤罪事件の無罪を勝ち取った人物だ。この弁護士が丸正事件というものに絡んで逮捕されてしまう。
 しかし、彼の功績は、歴史に、そして人々の記憶に刻まれ、多くの門下生を輩出している。
 民主主義は今、危機にさらされている。このことを自覚したい。それを救うにはどうすればよいのだろうか。良識あるジャーナリストはいないのだろうか。
 安田弁護士逮捕に、私は今そんなことを考えている。


はら・ゆうじ・記録作家、新聞記者。主な著書に『極刑を恐れし汝の名は』(洋泉社)、『殺されるために生きるということ』(現代人文社)、共著に『死刑執行』(朝日新聞社)など。


文章の出典
週刊金曜日・249号(1998/12/25付)・24-25ページ

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